妻のお父様の死から考える

今年に入ってから、義父の容体が悪いと妻から聴かされていました。そして、時間を作って会いに行くことを進言しました。

長男と次男を連れて、元気なうちで理解できる時に行ってきました。

 4月28日の午後3時に妻に連絡が入り、危篤の報告を聴きました。妻にすぐ行くように告げました。

そして、次の日に予定をしていた年一回のホームパーティーをキャンセルして、私も長男も次男の行くことを決意しました。

ミーティング中だった社員さんからも「すぐに行ってあげてください。大丈夫です。」と背中を押してくれました。本当にうれしいかった。深感謝です。

 そして、自宅に帰り準備をしました。愛犬をPET-HOTELに預けることなど、家族が助け合い・午後5時に金澤を出発して、鳥取の県立中央病院に向かいました。

 私は父の倒れたときは、ソウル➡金澤に帰る途中、亡くなった時もNYCにいました。晴れ男で海外では、雨にあったことが無いくらいでしたが、この日は、一日中雨が降っていました。

その日に予定していたOPENのための買い付けを行い、NYC➡アンカレッジ➡ソウル➡富山➡金澤に最短で帰りました。

  妻には、「その思いをさせたくない」「必ず、お父様に合わせてやる!」そんな思いで、土砂降りの中、車を走らせました。お陰様で、午後9時45分に病院に到着しました。

 お父様は、妻を待っていてくれました。人間の生きる気力・念いを感じ、お父様の妻への愛情の大きさを感じました。心から本当に良かったと感じ、何とか恩返しの一つが出来ました。

 翌日の平成28年4月29日午後2時55分、お父様は天に召されました。(享年85歳)ご冥福をお祈りしました。

 今までは、妻を向かいに来ることが、鳥取へ来る目的になっていました。観光もすることの無く、鳥取を理解することも無く、妻の実家に泊まり帰る、ご両親・兄弟との食事またはご両親と近くの温泉に泊まっての親孝行でした。

 時間があったので、子供と鳥取砂丘・砂の美術館・車の中から鳥取の景色・食事の際の関り・鳥取の人の優しい接し方・鳥取市のクリーン活動などから、鳥取が大好きになりました。これも一重に、お父様のお導き道を感じました。そして、改めて、親戚・家族が一丸をなったひと時でした。全ての出愛・関りに深感謝です。ありがとうございました。

合掌。

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